October 16, 2011
Thinking about you / Radiohead
10月頭のお休みは、日本でのんびりした。
行きたいところやしたいことだらけで、あんまりぎゅうぎゅうにしないように、と自分に言い聞かせていたものの、やっぱりいざ行ってみるとそうはいかないものだ。
中国で買うと高いから、という理由でガマンしてたものも、結局あんまり買わずじまい。
ひさしぶりの日本では、いろんなことを思った。
本屋に行けば、入ってすぐに震災関連本の島があり、原発について細かく調べたような分析のものや、災害に備えるハウツー本や、震災があって以降のエッセイ本などなど、どれか読みたいのだけれどどれを選んだらいいかわからなくなるほど。
その中で、池澤夏樹さんが書いたものと、もうひとつ…なんだったか忘れたけれど、を読みたいと思ったけれど、荷物になるので空港の書店で買おうと思った。けれど空港の書店には、そういった本が全く置かれていなかった。
これはもしかして、日本の玄関口で、外国から来た人が最初に日本のマイナスイメージを持たないように、みたいな配慮なんだろうか。それは配慮というのか、よくわからないけど、とにかく置いてなかった。残念。
仙台へ行って、岩手へ行って、震災被害の片鱗を見た。
暮らしている様子からは、あまりそういったものを見つけることがなかったので、わたしはすこし意識が薄くなっていたように思う。だけど雨が降って、すぐにフードを被せられたとき、どきっとした。
そ うしたことを自然に体で覚えるような、そういう日々を過ごしている人がいることとか、そういう土地が存在してることとか、日本にいて改めて確認させられた ような。でも、目に見えないものから、どのくらい逃げたらいいのかもわからなくて、わたしが住んでいる場所がいわゆる安全な場所なのかどうかもわからなく なって、混乱した。だけどやっぱり、大事な人が、何年も何十年も経ってから、ここが安全じゃなかった、とわかるようなことになるなら、
もしここが安全なら、安全だけど、わたしの大事な人たちが、安全かどうかわからないと不安に思いながら暮らすなら、わたしもそこでいっしょに不安を感じて暮らしたいと思った。
こ こで暮らしていて、震災のことを人と話すとき、相手がどのくらい被害者に近いか計りながら話す、みたいなことがある。そのとき自分のほうが遠ければ、罪悪 感を持ったり、遠慮したりする。被害に遭った人が身内や親戚にもいなくて、友人にもいなかったら、話す資格がない、みたいなこと。それで言うと、わたしは 日本にすら住んでいなくて、地震があったときも日本にいなかったから、ほとんど話すことができない。だけど、そのすこし前まで仙台にいて、知り合いがたく さん仙台にできていて、いとこが福島に住んでいるから、そのぶんは話すことができる。そういうことを常に感じながら暮らしてきて、すこしでも近づきたい想 いもあって、仙台に行ってみたら、そこに暮らす人からは、そういうことを求められていないような気がした。
帰り際、タクシーの運転手さんが、震災のとき何をしていたか話してくれた。
あ のとき、海のほうに住んでいるお客さんを乗せていて、地震があって、ラジオで大津波警報なんて言ってるもんだから、帰るのすこし待って、様子見たほうがい いんじゃないですか、って言ったんですよ。だけど家族が心配だから帰るって言って、車が停めてあるっていうところの近くまで送って、わたしはすぐ引き返し たんです。その後津波が来て。あのお客さん、どうしたかなあって、毎日考えるんです。毎日。
上を向いてないと涙が出てくる毎日だったけ ど、このひとの話を聞いて、またとても悲しくなった。運転手さんが、このことを考えなくなる日はいつか来るんだろうか。わたしは遠慮して、やっぱり何も言 えなかった。ただ降りるとき、お元気で、と言ったら、ありがとう、お客さんも、と言ってくれて、帰国したあともこのことを忘れないでいようと思った。
lyuking at 23:44│Comments(0)│TrackBack(0)│